井山 敬介
-Keisuke Iyama-
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まだ寝ている僕の身体の上に、もうすぐ2歳になる息子が「パパっ!」とダイブしてきた。しかも、しっかりと踏み切って飛んでくるのだからたまらない。まだ眠い目をこすりながら、朝から元気いっぱいの息子を受けとめ、少しの時間ベッドのなかでじゃれ合う。その後は妻が入れてくれたコーヒーを片手に雨の日以外は息子とベランダへ行く。僕はコーヒー、息子はリンゴジュース。やっぱり朝一番は外の空気を吸いたくなる。僕の1日はこうして始まるのだ。
いつもと変わらない朝を迎えた今日は、6月28日。僕の記念すべき29回目の誕生日だ。
天気はあいにくの曇り空。コーヒーをひと口飲み、ぼぉーっと雲の動きを眺める。まあ雨よりは良いかなと思いつつも、こんな天気の日は湿度が高いぶん、少しだけ身体が重く感じる。29歳、当たり前だけど来年の今日には、僕は30歳になる。30代の始まりだ。
20代最後の誕生日だと思うと、正直寂しい気もする。29回目の誕生日を迎えるにあたって、井山敬介の20代はいかがなものだったのか、そして、20代最後の1年をどう締めくくるのか、と考えてみた。ありきたりだけれどわかったことは、やっぱりスキーをやっていて良かったし、これからもスキーはやめられないということだ。
実は、大学を卒業と同時に、スキー選手をやめてサラリーマンになろうと思い、就職活動をしたことがあった。成績不振もあったし、果たして「職業=スキー選手」で飯が食っていけるかという不安もあった。そんなとき、アルペンレースと並行しながら技術選(全日本スキー技術選手権大会)に初出場。技術選の魅力、何よりスキーの魅力に思いっきりはまってしまった。
僕のなかの「スキーヤーVSサラリーマン」は、スキーヤーに軍配が上がった。そのときにスキーヤーではなくサラリーマンに軍配が上がっていたら、今の僕はなかっただろうし、このコラムも書いていなかっただろう。今となってはたいした問題じゃないが、当時はかなり迷いがあった。なにごとにも、どちらかを選択しなければならないという状況はある。ましてや引退だとか就職、転職などの人生の選択をしなければならない状況というのは、そうそう訪れるものではない。
こういうタイミングを人生のターニングポイントと言うのであれば、スキー選手続行を決めたときが、僕の人生のターニングポイントだったのかもしれない。選択の内容が小さくても、大きくても、誰かに決めてもらうことでもないし、誰かに決められることでもない。自分自身が決める。ただ人間は迷っているときには誰かに背中を押してもらいたいものだ。本当は迷っていないんだけれど、自分が進むべき道はわかっているんだけれど、進んだ先がどうなっているのか?自分が選んだ道は正しいのか? と不安になる。
だから、初めの一歩が出ないのだ。
どっちの道に進んでも、向かい風や追い風は吹くし、上り坂や下り坂もある。どんなときでも地に足をつけて、しっかりと足跡を残して歩き続けていくことが大切なことだと思う。おかげさまで僕もたくさんの人に背中を押してもらってきた。そのたびに感謝し、一歩一歩を大切にして今日までやってきた。決めるのは自分自身だけれど、けっしてひとりでは生きてはいけない。たくさんの人に感謝しながら、これからも進んでいきたい。
カップに残っていたコーヒーを飲み干しリビングへ戻ろうと、もうすぐ2歳になる息子と手をつなごうとしたときに、こいつにも自分の進むべき道を決めるときがいつか来るのだなぁと思った。これからたくさんの人たちと出会い、いろいろな経験をして大きくなっていく。僕はこいつが大きくなって迷ったときに、しっかりと背中を押してやれるのかと不安にもなるが、決めるのはこいつ自身なのだ。
僕もそう育てられたような気がする。何かを決めるときに両親に押しつけられるようなことはけっしてなかった。スキーも自分が楽しいから続けてきたし、小さいときに親にやらされたわけでもなかった。僕が大学を卒業して、アルバイトをしながらスキーを続けたいと両親に言ったときにも、「一所懸命にやっていれば大丈夫だ」と背中を押してくれた。何か特別なことをするのではなく、なにごとにも一所懸命にやっていることが、息子へのメッセージになるのかもしれない。
リビングへ戻り、空になったコーヒーカップとリンゴジュースの入っていたコップを妻に渡すと、「誕生日おめでとう。今年もケガなくがんばってね!」と言ってくれた。身体の重さが吹っ飛んだ。
● 記事提供=月刊スキージャーナル(2007年9月号掲載)
PROFILE
井山 敬介 -Keisuke Iyama-
1978年 北海道富良野市生まれ
幼少の頃から地元・富良野の雪に戯れて育つ。アルペンレーサーとして早くから頭角を現わし、札幌第一高校時代にはナショナルチームに所属、ワールドカップに出場するなど、数々の実績を残す。
2000年から技術選に参戦。毎年着実に順位を上げ、2007年はみごとに初優勝、そして2008年には連覇。2014年に3度目の優勝を飾る。
現在も技術選でトップ争いを繰り広げるほか、子供たちへの『雪育』活動にも尽力。スキー界の振興に向けて、第一線で活躍を続けている。
全日本ナショナルデモンストレーター、ばんけいスキー学校所属
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