BECOME A FAN ON FACEBOOK

夢のスポーツカー

ARTICLES

中学3年生の秋、イタリアへ海外遠征に行ったときだった。当時世界で大活躍していたアルベルト・トンバが、僕たちがトレーニングしているスキー場にやってくるとコーチが言うのだ。 スーパースターのアルベルト・トンバのトレーニングを間近で見ることができるのだと興奮したのを、今でもはっきりと覚えている。

ホテルの部屋で雑誌を見ながらリラックスしていると、外からものすごいエンジン音が聞こえてきた。僕は何だ!?と思い、あわてて窓を開けて外を見た。 すると僕たちが宿泊していたホテルに向かって一台の車が走ってきた。そのものすごいエンジン音は、壊れてボロボロになっているような汚い音ではなく、スピード感のあるスポーツカー独特の音だ。

ここが外国だからか、日本とは違う空気に飲まれたのか、特別な意味もなく「さすがヨーロッパだな~」と、駐車場に止まった車を眺めながらつぶやいてしまった。 めちゃくちゃにカッコイイ真っ赤なスポーツカーに見とれていると、車からキラキラと光っているとても身体の大きな男が出てきた。

なんと、あのスーパースターのアルベルト・トンバだった。

車もアルベルト・トンバもキラキラと光を放っている。これがオーラというものなのか。思わず見入ってしまった。上から見るスポーツカーは何とも言えないなめらかなフォルムの流線型。 トンバも車も美しい。開いた口が塞がらず、よだれが出そうになる。ジャージの袖で口元を拭きながら、僕は世界のトップに立つとあんなすごい車に乗れるんだと勝手に思った。

僕は部屋を出て駐車場へ向かった。ドキドキしていた。初めて間近で見る高級スポーツカー。アルベルト・トンバはすでにいなかったが、キラキラと光っている真っ赤な車は僕の心をガッチリと鷲づかみした。 部屋に戻っても興奮は収まらなかった。世界のトップに立ちたい、という気持ちがよりいっそう強くなった。15歳の僕は単純だ。その日からいつもやっている腹筋の回数が増えた。

スーパースターに夢を持たせてもらった。

先日、テレビのニュースを観ていると、3,000万~3,500万円はするであろう高級スポーツカーと、ここ最近話題になっている250万円前後のハイブリッドカーの2台を並べて、10人ぐらいの小学生に対してどちらが欲しいか、という特集をやっていた。

スポーツカーに対する子供たちの反応はものすごい。「カッコイイー!」とか「すげ~!」と歓声が上がる。あの独特なエンジン音にもたまげている。 スポーツカーの持ち主がエンジンを噴かすと、全員がビックリ顔を見せていた。『そりゃ、すげぇだろう』と思いながら、僕だったら当然スポーツカーを選ぶなと思いつつ見ていた。 そしてテレビのなかの子供たちもきっとスポーツカーを選ぶだろうなと予想した。

だが、小学生たちの答は違った。ほとんどの子が250万円前後のハイブリッドカーを選んだのだ。リポーターに選んだ理由を聞かれた子供たちは、「荷物とかたくさん積めるし」や「人もこっちの車のほうが乗れる」と、何とも現実的な答が返ってきた。 そう言われればそうだけど、荷物とか乗れる人数とかってしっかりしているなと思った。最近の小学生は『迷わずスポーツカーでしょ!』じゃないんだなと、軽くジェネレーションギャップを感じてしまった。

きっと僕が小学生のときだったら、迷わずただカッコイイ、スポーツカーを選んでいただろう。これが時代の流れなのか、単純にあそこにいた小学生たちがスポーツカーにまったく興味がなかったのか。 実は欲しいけど我慢しているのか、はたまた本当にいらないのか、ただ友達に答を合わせたのか……。

スポーツカーを選択しなかったことがまちがいではない。それぞれの人生、それぞれの価値観がある。 大金を払って手に入れるスポーツカーの魅力ってなんだろうと、僕自身考えさせられたが、それはきっと手にしてみないとわからないだろう。

あのとき僕が出会った、アルベルト・トンバの真っ赤なスポーツカー。高級車を手に入れることがすべてではないが、僕は15歳のときにスーパースターからもらった気持ちをいつまでも忘れないだろう。

息子が大切にしている小さなスポーツカーを眺めながら、久しぶりに腹筋の数を増やしてみようかと気合いを入れてみる。

● 記事提供=月刊スキージャーナル(2010年1月号掲載)

PROFILE

井山 敬介 -Keisuke Iyama-

1978年 北海道富良野市生まれ

幼少の頃から地元・富良野の雪に戯れて育つ。アルペンレーサーとして早くから頭角を現わし、札幌第一高校時代にはナショナルチームに所属、ワールドカップに出場するなど、数々の実績を残す。
2000年から技術選に参戦。毎年着実に順位を上げ、2007年はみごとに初優勝、そして2008年には連覇。2014年に3度目の優勝を飾る。
現在も技術選でトップ争いを繰り広げるほか、子供たちへの『雪育』活動にも尽力。スキー界の振興に向けて、第一線で活躍を続けている。

全日本ナショナルデモンストレーター、ばんけいスキー学校所属

■ facebook
https://www.facebook.com/井山敬介/

■ instagram
https://www.instagram.com/iyamakeisuke/

■ 井山敬介YouTube チャンネル『ズルtube 』
https://www.youtube.com/channel/

another story

≫ vol.01 | myself
≫ vol.02 | スキー、楽しんでますか?
≫ vol.03 | 水を得た魚のように
≫ vol.04 | 言葉以上に伝わるもの
≫ vol.05 | きっかけ
≫ vol.06 | 見えない星
≫ vol.07 | 息子と僕
≫ vol.08 | 親ばかの集い
≫ vol.09 | 雪育のススメ
≫ vol.10 | 強いときも弱いときも
≫ vol.11 | スキーをやっていて良かったことは?
≫ vol.12 | 子供の勇気、親の勇気
≫ vol.13 | 夢のスポーツカー
≫ vol.14 | 玄関はいつもキレイに
≫ vol.15 | プロとして立つ
≫ vol.16 | サムライを超えたスーパースター
≫ vol.17 | 本とiPad
≫ vol.18 | いつか一緒に滑れるその日まで
≫ vol.19 | まっ白な、大きな滑り台
≫ vol.20 | 勇気と希望を
≫ vol.21 | スキーをやっていて良かったことは?
≫ vol.22 | ザ・メリットメイク
≫ vol.23 | SK1
≫ vol.24 | 雪育せんせいキャラバン
≫ vol.25 | 終わりのない究極
≫ vol.26 | フルに、シンプルに
≫ vol.27 | 以熱治熱 イヨルチヨル
≫ vol.28 | ニュージーランド・スキーライフ
≫ vol.29 | 「SK1(エスケーワン)」がめざすもの
≫ vol.30 | 勝負の世界
≫ vol.31 | ご褒美
≫ vol.32 | 時の流れに身を任せる
≫ vol.33 | まじめに一所懸命に
≫ vol.34 | スポーツが教えてくれる
≫ vol.35 | スキーカフェ
≫ vol.36 | 雪国に生まれて
≫ vol.37 | スポーツの冬!
≫ vol.38 | 決断
≫ vol.39 | 感謝